情報あふれる秋の暮れにふと立ち止まり /松井宏次

夏から冬へと季節はどこか淡々と移り、気がつくと街のなかの木々の葉も、赤や黄へと色づきが進んでいます。
保健所を管轄する行政機関の職員の過労がただならぬ状況だといった声も、観光再開を切望する声も両方が聞こえてくる京都の2021年秋。
さまざまな情報がとびかうなか、身近にどれだけ具体的に感染禍が起きたかで、このパンデミックの捉えかた感じかたも人それぞれ違うようです。

経験の無い状況下、感染拡大防止のための、私たち自身の行動についても、国や都道府県の打ち出す対策についても、それぞれが考えさせられることともなりました。
私たちは、ふだん、それほど論理的にものごとを判断するわけではなく、そのときの感覚や、それまでの経験則での意思決定を多く行います。数値計算など論理的な手順で結論に辿り着くのではなく手早く推論で判断する思考のかたちで、ヒューリスティック heuristic(*1と呼ばれます。古典的ですが、今も有効とされている心理の捉えかたです。
また、最近のネットからの情報の受け取りかたに対して、エコーチェンバー現象(*2への注意やフィルターバブル(*3への警鐘を鳴らす声もよく聞くようになりました。前者は、自分と似た興味や関心をもつユーザーをフォローする結果、自身の閉じた世界に、言わば嵌っていく現象。後者は、ネット上のアルゴリズムによって自身の観点に合わない情報から隔離され、考え方や価値観の「バブル(泡)」の中に孤立することをいいます。

いずれも、もともと水面下の心の動きで、それ自体は良い悪いという類いではありません。
また、そう言われてみれば当たりまえと思えるような心の動きとも言えます。そして、これも思い当たることですが、例えば「問題が複雑」「必要な知識が無い」「時間に迫られている」といった状況では、ヒューリスティックが起きやすくなります。考え抜いても解に届きそうにない問題を前にして意思決定を行おうとすると、当然のように生じる心性です。
誰にも経験や十分な知識のないパンデミックに直面したこの2年は、ヒューリスティックが起きる条件が揃っていました。そんななか、どこまで論理的に考えていただろうか。今、このあたりで少し立ち止まって振り返ってみるタイミングに思えます。

COVID-19に関わらず、これからも、さまざまな情報が意図されて、また、偶発的に、あるいは偶発を装って流されます。すぐにやってくる国政選挙でもそうでしょう。
経験をもとにヒューリスティックによる意思決定をするもよし、そこを少し踏みとどまって、論理的な意思決定に挑むもよし。
願わくは、遠回りのようでも、必要な知識、知るべき何を知らないのか、それを捉えることからはじめ直し、少しでも良質な解に近づいてみたいものです。そのほうが、きっと楽しい。

*1ヒューリスティック
https://kagaku-jiten.com/cognitive-psychology/higher-cognitive/heuristics.html
https://news.mynavi.jp/article/20210618-1895116/

*2 *3 エコーチェンバー フィルターバブル
https://www.soumu.go.jp/johotsusintokei/whitepaper/ja/r01/html/nd114210.html
https://www.itmedia.co.jp/news/articles/2109/28/news106.html

-備考-
ヒューリスティックについての例示の古典、リンダ問題です。
……
「リンダは31歳独身で、非常に聡明で率直に意見を言う。大学では哲学を専攻し差別と人権問題を研究した。彼女は反核デモに参加したことがある。」

[問]次の2つのうち、リンダについてどちらの可能性が高いだろうか。
A:銀行の出納係をしている。
B:銀行の出納係であり、フェミニスト運動に熱心である
……
この問いへの回答の多くは、Bになります。
そこには、conjunction fallacy合接の誤謬(ごうせつのごびゅう)や連言錯誤とよばれる判断のありかたがみられます。一般的である「銀行の出納係をしている」よりも特殊な状況である確からしさが高いと判断してしまうという、代表性ヒューリスティックです。
なお、理解にばらつきのあるフェミニストという言葉や、感染防止での制限もあって、すっかり少なくなったデモ。そうした内容を含むこのリンダ問題、現在では、ちょっと伝わり難いかも知れません。



■執筆者プロフィール

松井 宏次(まつい ひろつぐ)

ITコーディネータ 中小企業診断士 1級カラーコーディネーター

健康経営アドバイザー

焚き火倶楽部京都 ファウンダー